2017-03-30 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第6号
だから、高野連はアマチュアリズム、アマチュアリズムと言っているけれども、こうやって裏ではセミプロみたいな、もうとにかく甲子園に出て学校を有名にして、そして生徒集めようというプロ化した、まあ不正とは言いませんけれども、実態があるわけですよ。 是非とも大臣、私は、高野連という組織はちょっと保守的過ぎるし、やっぱりおかしいですよ。
だから、高野連はアマチュアリズム、アマチュアリズムと言っているけれども、こうやって裏ではセミプロみたいな、もうとにかく甲子園に出て学校を有名にして、そして生徒集めようというプロ化した、まあ不正とは言いませんけれども、実態があるわけですよ。 是非とも大臣、私は、高野連という組織はちょっと保守的過ぎるし、やっぱりおかしいですよ。
私は、高野連が目指しているアマチュアリズムというのは分からなくもないんですけれども、高野連は、自分たちはあくまでもプロじゃない、アマチュアなんだと、だからプロアマ規制なんということもやって、プロと接触するのも嫌がったわけですね、昔は。でも、今度はアマチュアリズムを尊重して、例えば甲子園に来る入場者の入場券は物すごく安いわけです。
当然、共同で審査チームをつくる、審査機関をつくるためには厳格なルール作りが必要で、プロ側はアマチュアリズムをしっかり尊重して決して商業的にはならないということ、これをしっかりルール作りをしなければいけないと思います。なかなかしっかり進むのは難しいかもしれませんけれども、これが成就できればまた野球界にとって新しい夜明けが来るものと確信しております。
以来、国体は、広く国民の間にスポーツを普及し、アマチュアリズムとスポーツ精神を高揚して国民の健康増進と体力向上を図り、あわせて地方スポーツの振興と地方文化の発展に寄与するとともに、国民生活を明るく豊かにする、これが目的であるとこのように承知をいたしておりますが、まず確認ですが、おおむねそういうことで間違いないでしょうか、御答弁いただきたい。
やはりボランティア、アマチュアリズムでもこういった運動は必要かと思っております。そして、私は国際協力というのは日本人の人材育成の場であると。JOCV、青年海外協力隊もありますけれども、NGOの場合ですともっと自然に中に入っていって現場の人たちと一緒になって仕事ができるということでNGOは人づくりの場でもあるだろうというふうに思っています。
これはスポーツにおいてアマチュアリズムというものが生まれたのと非常によく似ておりまして、アマチュアリズムというのは、なぜか日本では美しいもののようにとらえられておりますけれども、実は肉体労働者をスポーツの世界から排除するために考えられたような制度であるという言い方もできるわけです。
アマチュアリズムが完全に壊れました。もう今はプロがオリンピックに出ていく、これでいいのかと、そういうことが根本から問われていかなければいけないんじゃないか。 ですから、少なくとも日本のスポーツは底辺を広げる、大勢の人にスポーツをやっていただく、楽しんでもらう。同時に、正しいスポーツを教えていかなくちゃいけない、これは指導者の問題に絡んでくる。
確かにアマチュアリズムというのは必要な二ともあるかもわかりませんけれども、あのバスケットのアメリカンドリームのチームを見た、これはすばらしい感動を与えました。そういう意味でも、やはり見て感動を与えるということもこれからの日本の生活の中で必要じゃないか。やはり、仕事をせっせせっせとして、仕事ばかりして残業もしてという時代ではありません。
先輩委員や同僚委員のように地方行政の経験もございませんので、大いなるアマチュアリズムを生かして大臣の御所見をお伺いしたいと思っております。 まず最初に、私見を交えて、地方分権そして規制緩和の総論について、総務庁長官のお考えをお伺いしたいんです。 私は、かつて自民党代議士の秘書をしておりました。
先生との前回の委員会でのやりとり等を思い起こしてみましても、オリンピックというものにできる限りアマチュアリズムのきちっとした枠をはめておくべきではないかと私は基本的に思っているわけでございます。
そのことに関して、オリンピックに対する指摘として、商業化、アマチュアリズムの喪失あるいは金の力をもっての誘致合戦、メダル至上主義、こういったことを指摘しながら一定の御見解をいただいてきました。大臣のお考えは私がなり理解できたと思っております。 ところが、ちょうど時を同じゅうしまして、イギリスでオリンピックに関する本が発刊された。
例えばスポーツマンシップとオリンピックというようなことだとか、スポーツアマチュアリズムだとかプロフェッショナリズムというようなことをどのように指導していったらいいかなというように思いますが、いかがでしょうか。
○逸見政府委員 ギブアップということではございませんで、世界の趨勢を見ながら現時点におけるあり方を真剣に検討された結果こうなったということでございますが、基調として、基本として、先ほど私申し上げましたとおり、アマチュアリズムというもの、これが本当に根底になければならない。
○沢藤委員 アマチュアリズムというのはどういうことなのだろうか。アマとプロの違いはどうなんだろうか。線がはっきり引けるかどうか。そのことについてのお考えをお聞きしたいと思います。
そういったプロフェッショナルを排除して、プロよりもアマチュアの方が価値が高いというふうな考え方をとること、それをアマチュアリズムというふうに呼ぶわけでございます。このアマチュアのスポーツにこそスポーツの真髄がある、アマチュアのスポーツこそ真のスポーツである、これがアマチュアリズムということだと思っております。
自民党さんでは何かサッカーのトトカルチョまで考えようかというようなことでありますから、その前にアマチュアリズムのこういうオリンピックの新しくできた報奨金制度について、ぜひ大臣としてこういったことをお考えいただきたいと思いますが、いかがですか。
次は、スポーツとアマチュアリズムのことをお聞きしたいと思います。古代オリンピックの初期には、優勝の栄誉というものの印には野性のオリーブの小枝を頭にかぶせただけであったわけですけれども、次第に大きな報酬や特権というようなものが与えられるようになりましてプロ化をしていったわけです。八百長や買収も横行するようになりました。オリンピックは堕落して衰退し、やがて廃止されるに至ったと聞いております。
○高木健太郎君 今お話しになったように、サマランチ会長になってから随分はっきりアマチュアリズムが壊れつつあるというように思うわけです。
○国務大臣(中島源太郎君) 具体の方法がお尋ねであれば政府委員からお答えさせますが、私は現在までのところを振り返ってみまして、アマチュアリズムというものが我が国のスポーツを振興させてきた、その大きな意義があったということはもう事実であろうと思うわけであります。したがって、スポーツ振興の根本に今後ともやはりアマチュアリズムというものは置いていくべきであろうと私自身は考えております。
それと、私たちの方から訴えました問題は、一つは日本体育協会等を中心として、要するにスポーツ界がアマチュアリズムというものを、日本の基準と外国のアマチュアの基準というものとは違うんじゃないのか。この物差しが違ってしまったら勝負にならぬじゃないか。
○塩川国務大臣 今度のアジア大会で、ただ一言で言ったら根性が足らぬ、これは当然なのですけれども、その前に私は、日本のアマチュアリズム、この問題を検討すべきではないか。他の国を見ておりましたら、これは一体アマチュアなんだろうかというような疑問を持つものもたくさんあります。ところが、日本はかたくなにアマチュアリズムというものを何か規定している。それが美しいことだというふうに思うておる。
アマチュアリズムの後退や、教育に悪影響を及ぼすことのないように、商業主義に過度に汚染されないようにやはり十分注意する必要があると思い、日本体育協会を指導してまいる所存であります。 体育、スポーツ関係の予算につきましても、これらの施設の整備、指導者の養成、海外派遣等については大いに協力してまいりたいと思っております。
最近のアマチュアスポーツ界の傾向として、従来のあり方とは根本的に異なるような商業主義の台頭とアマチュアリズムの急激な後退という現象が見られているのであります。
二番目に御質問の、競技会に賞金が出ることによってアマチュアリズムが失われることのないように文部省は積極的に指導をしろということでありますが、全く同感でありますので、この趣旨に沿って努力をしていきたいと思います。 第三点の予算の点につきましては、日本体育協会に対し今年度十二億八千三百万円の予算を組んでおりますが、今後とも体育振興のためにはできるだけ努力をいたしたいと考えます。
その賞金の使い道につきましては、現在陸上競技連盟の方においてそれをどういうふうに使っていくかということを検討いたしているわけでございまして、その検討の過程で、やはりそういったアマチュアリズムがいかにして失われないように、いわゆるお金だけの目的のために走っていくようなことがないようにということの観点で検討がなされるものというふうに期待をいたしているわけでございます。
○国務大臣(中曽根康弘君) 今申し上げましたように、アマチュアリズムというものは非常に貴重である。特に学校とかいう教育系統につきましても、また社会人としての存在につきましても私はとうといと思うんです。例えば青梅マラソンというようなものを見ますと、近ごろは何千という人が出てくる。各地でマラソンがある場合においてもアマチュアは何千と出てきておる。
○政府委員(古村澄一君) ただいま体協の方からお話がありましたように、アマチュアリズムと国際的な動向とのはざまのぎりぎりの接点をどこに求めるかということになったのだと思います。
この点、たとえばオリンピック等におけるアマチュアリズムの問題とか、世界陸連が必ずしもアマチュアについての規定を厳格にしないで若干の緩和方向にあるとか、いまスポーツ界におきますアマチュアと専門プロとの間の考え方は揺れておるところが実情でございます。
これに伴いまして放送権料だとか、その他もろもろの権料というものも高額化しておるのが実情でございまして、またその一方ではアマチュアリズムというような面でのいろいろ問題も出ていることもございます。
現実のオリンピックというものが商業主義に災いされていないか、あるいはアマチュアリズムのあれよりももっと職業的なところまで一種の養成をせざるを得ないような形になっておるのではないか等々の議論が、アマチュアリズムを非常に大切にするがためにそういうような傾向に対して非常な不安と申しますか、心配な問題を持っておる、こういうことが、オリンピックを愛します者から見ますと議論が出てきておるところがあると私は思っております
○新村(勝)委員 そういう点でオリンピックはアマチュアリズムを非常に高く評価をしておる。高く評価というよりは、そこに基礎を置いておるわけです。ところが、アマチュアリズムというのは言うまでもなく、まず商業主義、経済からの解放、独立、これが絶対の要件ですね。それからもう一つは、権力からの独立、これがアマチュアリズムの絶対の要件だと思いますね。大臣はそう思いませんか。